え?なにここ。
東京都墨田区。閉鎖登記を購入して、社名変更により息を吹き返すように創業されたその会社の事業目的は、健康食品の販売業であった。「生活向上」(仮)の社名からも、顧客の健康を思うような温かさが感じられ、どんな社長か会うのが楽しみだった。NTTに電話番号の登録はなく、依頼者からよせられた電話番号に架電。応答なし。その後も何度か電話を掛けるが、応答が得られることはなかった。
先方が取材拒否の場合にも、現地に訪問が義務付けられている事は前にも触れたが、そういった場合に流れ作業的に調査報告を完了させる技がある。調査員としての仕事も大分板についていた私は、「しめしめ。今回は楽勝だ。」程度にとらえ、さっそく墨田区の現地に向かう。
そこには「生活向上」の表札は見当たらなかったが、什器もない広いワンフロアに十数人のおばちゃんたち。すごい数の白い段ボールに、せっせと何かを詰め込んでいる。
「あのぅ、信用調査会社ですが、辰子社長いらっしゃいますか?」おばちゃんたちが視線を奥に向ける。
あーそういう事ね
私ですけど。辰子社長が出てきてくれた。
「信用調査会社さん。今日はどういったご用件で?」辰子社長は、これまで信用調査に対応したことがないそうで、私との取材が最初となった。
「御社に興味をお持ちの弊社会員企業から、信用状況についての照会が入っております。御社の経営について、色々お伺いしたく伺いました。」鉄板フレーズ。
社長室は、茶色の木目調が美しい会議室で、おばちゃんたちの作業部屋とは大違い。いかにも社長室といった雰囲気の部屋に、大きなホワイトボードが印象的だった。
「私どもは、日本の国民が老後不自由なく暮らして行くために、会員向けに健康食品の販売を行っているんです。」
はぁ?何で老後資金と会員向け販売がつながるのよ。儲かるのはあんたの会社でしょうが。と理解に苦しんでいるのを察してか、辰子社長がホワイドボードに図を書き始める。
「この会員が、この健康食品をこの人に売るでしょ?それでこの人がまたこの人に売ると、売れた分に応じて分配金が出る訳。それがどんどん積み重なって行くと、一番最初の会員はほとんど何もしなくても、老後暮らして行けるようになるの。」
あ。マルチだ。経験不足の若造にも、ピンときた。
辰子社長が続ける「こういうのをね、日本人はマルチ商法とかいって目の敵にするわけ。でもアメリカでは普通なんですよ。大きなマルチ商法の会社だって存在して、社会的に認められているの。」
「日本人は、海外から良いものを取り込む時、間違った取り込み方をするのよ。モーテルだって、高速道路の傍らにある休憩施設として非常に合理的なのに、日本ではなぜかピンクになっちゃう。」
いかん。知識不足だ。マルチ=よくないというイメージはあっても、何でダメなのか分からない。反論できない。
「そうなんですね、辰子社長。良くわかりました。ところでこのブルーベリーの健康食品はどこから調達されているんですか?」XXXXという地方の取引先名が聞けた。
なんだかんだ取材は2時間程続き、突然の訪問したことの非礼を詫び、お礼を述べて立ち去ろうとした時、
「なんか初めて私の事業を理解してくれる人に話をした気がする。僕は信じている!マルチ商法と呼ばれるこの事業は、絶対社会を救うことができる!今日は有難うね。」
事後調査
まずマルチがなぜ悪いと言われているのか、辰子社長の話を振り返りながら調べる。厳密には、マルチ商法とねずみ講があり、前者は合法、後者は違法となる。どっちに当たるのか判断が難しい中、読み進めた記事の中に一文を見つける「・・・・(前文略)ただし、仕入れた商品を販売する際に、社会通念上の常識範囲を逸する粗利益を確保してはならない。」
辰子社長の熱意は伝わったが、怪しさがどうしても払拭しきれず、依頼者にクリーンな会社として報告する事は気乗りがしなかった。なので粗探しをしてしまった訳だが、上の条文に掛けるしかないと判断した。
「私、東京で信用調査会社におりますものですが、御社は墨田区の生活向上っていう会社と取引ありますか?」
「あぁ、あるよ。なんだが最近取引ふえてなぁ。なんでもすんげー利益乗せで売れるらしぐ、依頼いっぺくるんだー。」
「どのくらい儲かるとか聞かれた事ありますか?」
「9割も儲かるど。」
やった。裏付けが取れた。
調査報告
辰子社長は、個人的には好きなタイプの社長。ビジネスに信念があり、熱意があり、人柄は温厚。
ただ、うまく表現できないけれど、胡散臭い。休眠登記の売買、現地に表札がない事、積み重なった段ボール、忙しそうなパートのおばちゃん。パクリ屋のイメージそのものだ。そこに被せて、上の過度な利益率が決定打となり、「要注意」として調査報告書をまとめた。
さよなら辰子社長
警視庁生活経済課は、辰子乃湖容疑者を無限連鎖講防止法違反着容疑で逮捕しました。警視庁によりますと、会員から集めた110億円のうち。。。。
調査報告からしばらくして、遅い晩御飯を食べている最中だった。
ワールドビジネスサテライトに映し出された辰子社長は、威風堂々としていた。
耳元にまた聞こえてくる。「僕は信じている!絶対社会を救うことができる!」