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事業承継難~秋田屋の事例~

銘木の郷

 私の故郷である秋田県は、全国でも数多くある銘木と呼ばれる木材のうち、「秋田杉」の産地として知られ、その美しい木目は和室の内装材として抜群の人気を誇っていた。関東に多い杉は、戦中に焼失した木々の代わりに植林されたものと何かで読んだが、秋田県内の山々のほとんどは杉に覆われ、小さい頃から慣れ親しんだ木である。

 そんな私も、関東に移り住んでからの年月の方が、秋田で過ごした年月よりも長くなって久しいが、とうとう杉花粉による花粉症に悩まされるようになり、秋田の同胞に顔向けできない(笑)

 (さらに余談になるが、新宿3丁目の駅から徒歩5分程度の場所に、秋田県の日本酒を専門に出す小料理屋があった。能代出身の秋田美人と呼ばれるのにふさわしい店主と、秋田出身の学生達がバイトとして勤務するそのお店は、大都会の中にありながら、秋田を感じられるとても居心地が良いお店だった。カウンターには、秋田杉の一枚板が贅沢に使われ、なめらかな手触りと、縁の年輪の美しさ。酔っぱらって日本酒を盛大にぶちまけても、水をはじく銘木に、いたく感動したものだった。(惜しまれつつ閉店済み)

新木場材木商

 私が担当させてもらった業界の一つに、木材卸売業があった。この業界も昔からの伝統産業で、繊維同様、業界専門の信用調査会社が組成されていた*程に情報ネットワークが大事な業界である。一社を調査した時に得た情報を、別の木材卸の会社で披露したりするととても喜ばれ、情報屋としてとても遣り甲斐のある業界であった。東証一部情報の建材商社を中心に、多くの材木商は新木場界隈に本店を構え、何度も何度も足を運んだ。輸入木材を専門にして業界慣習を打ち破ろうとする会社や、輸入材なんて絶対やらないという古参の会社。3代目社長の代替わりを契機に、注文住宅事業に多角化する会社など、色々訪問させてもらった。深川や富岡にも点在しているが、同業界の企業がこれほど一つの街に集積しているのは、中々珍しいのではないだろうか。

* レンゴー調査。2019年破産。

秋田屋

 2010年になるかならないかの頃は、木場界隈に「秋田屋」と呼ばれる業態があった。つまりは、冒頭紹介した秋田杉を専門に扱う材木商で、名刺にも誇らしげに秋田屋の屋号が印刷されていた。残念ながら、秋田屋は絶滅してしまったようだが、そのうちの一社は幸いにも私が担当させてもらっていた。

 「レンゴーにでも聞けよ!」

 高齢の社長が私からの調査依頼の電話に応じた第一声は、つっけんどんなものだった。堅気な職人には珍しい事ではないので、例のごとく名刺を渡しにいくところから、この秋田屋とのお付き合いが始まった。

 「信用調査会社ですが、さっき断られたんですけど、名刺だけお渡しに来ました。」と告げると、お父さんと呼ばれる社長が応対してくれた。と言っても、私は事務所エントランスの椅子に座らされ、社長は自席から大声で私の質問に答える形での取材で、周りの従業員にも聞こえる分、凄くやりにくい取材だった。

 そうこうしている内に取材が終わり、社長が私の正面の椅子に腰を掛ける。秋田出身であることや、秋田杉に小さい頃から触れていた事、大学時代に暮らした千葉に杉が少なくて驚いた事などを話すと、目を細めながら聞いてくれた。

2度目の調査

 秋田屋の最初の調査から半年もしないうちに、また最近の状況を確認したいという信用調査の依頼があった。経営状況が常態であれば、取引先が心配して調査依頼を掛ける事も少ない為、悪い胸騒ぎを感じた覚えがある。

 「信用調査依頼が入ったのですが、また社長にお会いしたいと思いまして。」

 「社長はいつ出社するか分からないので、都合の良い時に来てみてもらえますかー?」と女性事務員。

 社長は忙しいのだろうと思い、翌日訪問すると秋田屋のはっぴを着た社長がいた。居たのは良いのだけれど、かなり痩せている。一目で病的なというのが分かる程、具合が悪そうな様子だった。

 「おぉーっ、また来たか。」

 30分くらいであったろうか?社長が秋田屋を引き継いだ経緯や、最近の輸入木材に浸食された建材業界の事、他にも何か聞いたはずだが、苦しそうな咳をしながら湯飲みを煽る社長の姿だけが、強烈に印象に残った。

 「まずい。」

 そう感じた私は、調査報告内容の裏付けを取るために、仕入先として名前を聞いた秋田県の材木屋に取材を入れた。

 「私、東京で信用調査をやっている中村と申しますが、御社は東京木場のXXXXという秋田屋とお取引ありますか?」

 「あれぇ?それうちが御社の秋田支店の佐藤さんに頼んで、調査してもらっているやつじゃないの?」との答え。調査担当者は、依頼者を知らずに調査している為、まれにこうした事が起こる。

 「うちの一番のお得意さんで、番頭もよく知っているから、安心はしてるんだけどね。」

 「あ、失礼しました。承知致しました。取引があるかないかの確認だけでしたので。」

 結局、社長の健康状態悪化により、経営難に陥る可能性があるのではないかという私の推察は的違いで、番頭がいる限り大丈夫なのだなぁ。などと考え、「経営常態」として報告書をまとめた。

廃業

 ところが、ほどなくして3度目の調査が入る。

 取材申込の電話を入れると番頭とされる人物につながった。

 「社長は亡くなってしまったよ。」

 「えっ?本当ですか?」普通の会社であれば、お悔やみを申し上げて電話を切るところだが、私は依頼者に状況報告の義務があるので、そうは行かず、

 「今後の事業は番頭さんが展開されていくのでしょうか?」と続けた。

 「ちょっと待ってね。娘さんに代わるわ。」

 娘さんの声は、社長はいつ出社するか分からないと答えてくれた女性事務員だった。彼女が今後秋田屋の経営者となるのだ。

 「私もお父さん手伝って経理やってきたけどね。木材は詳しくないのよ。番頭さんとも話して、木材はやめる事にしました。今後はアパートが何棟かあるので、その賃貸だけやっていきますよ。」

  こうして、木場の秋田屋は暖簾を下した。

 取材を終えて、調査報告書を作成。これまで秋田屋に割り振られていた業種コードはもちろん「木材卸売業」。

 それを自分の手で「不動産賃貸業」に変えた時、ふと秋田杉の香りがした気がした。

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